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第11回 「信頼の本質」について考えた夏

2018.06.29

Norio Kuriyama

 

こんなに苦しい想いをさせてまで、会社経営を続けなければならないのか…
なぜ、もっと考えて、優しく振舞えなかったのだろうか…
経営者として以前に、人間として未熟で、私はあの時どん底に落ちていました。

 

彼から、「もっと愛を持って接して欲しい」と言われたのは、初めて出会って1年も経たない頃、西五反田のスターバックスでのことでした。スタートアップの立ち上げという混沌とした非連続の日々、まだ赤字の時代です。生死の境を彷徨うような、苦しい日々を皆と共に乗り越えて行く一方で、私は一番大切なものを忘れかけていました。

 

ジェットコースターのような気持ちの上下変動を繰り返し、何度となく迷わせてしまっただろうし、大小さまざま喧嘩もしました。そして何度となく心を傷つけてしまったけれど、最後にいつもそういった「大切なこと」を思い出させてくれるのは彼だったと思います。

 

 

渡雄太さんについて、今日は紹介したいと思います。

 

ご両親のお仕事の関係で転勤族だったと聞いています。京都で生まれた後、小学校高学年からはインドネシアで育ったようです。東北大学を出て総合商社の双日に入社し、主力事業のレアメタルのトレーディングを担当していました。皆が羨むような超一流の経歴を持つ彼ですが、偏差値がそこまで高くない高校だったと聞いています。名門東北大学に入学する為に、大好きな吹奏楽部を辞めて猛勉強し、現役で合格。学校始まって以来の秀才と言われたそうです。弊社の社員の誰もが「やり抜いた成功体験」を語ってくれますが、彼の高校時代の話は、彼のキャリアのどの部分よりも私が尊敬している所です。

 

2014年7月16日、運命のその日は突然やってきます。アイミツをローンチしたのが2月14日で、半年も経っていないタイミングでWantedlyを通じて出会うことになりました。出会ったその瞬間に「この人だ!」と惚れて、その日は面接も早々に切り上げ、飲みに行くことになりました。話を聞けば具体的に転職活動をし、既に十数社と接触を重ね、当然ながら既にオファーを貰っていました。転職活動の最後の最後に、アイミツという事業モデルに気になる所があり、ボタンを押してくれたのだと言います。

 

2人で初めて飲んだのは、目黒のやきとり屋です。駅とは逆の方向、権之助坂を下ったところに、当時よく通っていたそのお店はありました。想像以上に良い方と巡り合えた興奮からか、少し動揺していたかもしれません。気の効いたお店に連れて行くこともできず、その後、創業期の会社経営を共にすることになる人物と、ビールに焼き鳥5本が付いた980円のお得セットと、何とも気の利かない接待をしてしまいました。初めて会った日は、共通の話題が中心になりました。私が中小企業の支援をしていきたいというビジョンを話せば、彼も中小企業診断士に合格した直後で、同じような課題意識を共有してくれたし、私も彼も総合商社出身で、かつ金属業界の配属だったことなども偶然的なところでした。ちょうどその翌日、彼は私の生まれ故郷の北海道室蘭市にレアメタル関係の仕事で出張するとのことで、運命的なものを感じた次第です。共通の趣味の話では、チャイコフスキーやバルトーク(ハンガリーの作曲家)などの音楽話なんかをしたことを覚えています。

 

彼がなぜ大手商社を辞めてまでスタートアップに飛び込もうとしているか、既に内定している先に決められないのかなど、彼は冒頭から腹を割って話してくれました。頭脳明晰な所はもちろんですが、商社マンらしからぬ物腰の柔らかさや誠実さに惹かれたのは、彼と仕事をしたことがある人は全員理解できる所でしょう。

 

この日がご縁となり、1か月も経たない内に入社を決め、たった社員3名のユニラボにジョインすることになったのです。最終意思確認の日、土曜日の昼下がりだったと思います。奥様と当時0歳のお子様まで連れて来てくれたのは予想外で驚いたのですが、あの日のことは今も鮮明に覚えています。あの狭い目黒のマンションに奥様は驚いたことでしょうし、旦那がいきなりスタートアップに転職すると聞かされた時のことを想像すると、申し訳ない気分になり、無意識に謝罪をしてしまったことを覚えています。初めて社員を雇うことになったのだという強い実感と同時に、社員だけではなく、その家族もこの船に乗っているのだという実感を持たせてくれたのはこの時が初めてです。

 

生まれたばかりの子どもを抱え、大幅な給与ダウンを覚悟の上、商社という古き業界から、馴染みのないIT業界へ。いつ無くなってもおかしくないようなこの船に、出会って1か月も経たない人が乗ってきたわけです。そう言った大きな意思決定の裏には、並々ならぬ覚悟と決意があったと思います。僕たちはそういった覚悟と覚悟によって、あの時、運命的に結ばれたご縁であると思います。

 

入社したその日から、エンジニアリング以外はどんな未経験なことでも積極的に買って出るというスタンスでした。4人目の社員として彼が加入したことで色々なことが好転し、弊社は何とかオペレーションが回っていました。自ら営業をやり、部下(当時はインターン生が中心です)の世話をする傍ら、複雑なデータ解析は日常茶飯事、思えば、その時々の経営課題を捉え、次世代の新しい商品設計に引き上げてくれたのが彼でした。創業から1年半で単月黒字化し、今も安定した経営を続けていられるのは、彼が発揮した経営管理手腕による所が大きいと思います。成果報酬型から、スタンダードプラン、ゴールドプラン、そして今まさに佳境を迎える新プラン(今夏リリース予定)と、矢継ぎ早に経営課題を克服していけたのは、彼のリーダーシップのお陰です。

 

入社して間もない頃から、人事や財務など、会社の屋台骨を支えるポジションが必要になったら、その時はお願いしたいことを伝えていました。彼もそれを希望し、私と彼でコーポレート部門の業務を分担していたのが実際です。担当する業務についての本音は、やりたいこと、やりたくないこと、色々思う所もあったと思うのですが、私からお願いしたハチャメチャな依頼や、意味不明な要望も積極的にくみ取ってくれました。心が動かされるような前向きな仕事ばかりじゃかったことは言うまでもありません。

 

30歳という若さで、既に4年間会社経営にどっぷり浸かったのです。あの時飛び込んでいなければ得られなかった経験(苦いこと辛いことも含めて)は、プライスレスだったと彼は感じていることでしょう。私から見ても大きな飛躍を遂げた4年間だったと思います。それは本気で会社経営に対峙した人にしかわからない経営視点であり、新しいビジネスを黒字化まで持ち上げた経験がない人にはわからない事業開発の苦しみだと思います。同じ30歳の商社マンや経営コンサルタントでは恐らく経験できない実戦略論や、実組織学に基づいた経営に関する手触りや土地勘を得たのです。たった4年間で大きな成長を遂げ、IT・インターネット業界のプロフェッショナルとして活躍するようになっています。

 

 

ビジョンの実現に向けてはまだまだ遠い道のりではありますが、弊社は今、過去最高に良いチームメンバーが集まり、一つのことに向かっていると思います。「このメンバーでやれない訳がない!」という言葉を、会社のあちこちで聞くようになりました。このように、小なれど皆が誇れる組織を創ることが出来たのも、彼の人間性や、チームビルディングにおける貢献が大きいと考えています。組織のつなぎ手として、彼が潤滑油となって弊社は回っていました。

 

一例ですが、彼はユニラボを触媒として色々な友人・知人を会社に連れて来てくれます。ご両親はもちろんのこと、弟さんは一時期弊社を手伝ってくれていました。そして、高校、大学の友人、前職の同僚や先輩、昔の取引先(顧客)まで連れて来ては、飲み会を開催しているのです。チームを愛することや、登場人物を全員ハッピーにしたいという彼のモットーが良くわかります。また、多趣味で世話好きの彼が次々に持ち込む娯楽的アクティビティが、弊社の組織コミュニケーションに大いに貢献し、スタッフの生き甲斐になっているかは、弊社スタッフのみぞ知る所です。

 

メンバーの事で問題提起を挙げるのはいつも彼です。元気がないメンバーを見つけては励まし、気を使ってあげること。あるいは盛り上げること。そういうメリハリを利かせたマネジメントができる天性の才能を私は羨ましく思い、すっかり頼りきっていました。

 

ボードゲーム部です。月に1~2回、飲みながら皆で終電まで遊び倒しています。
ほとんどが彼の私物ですが、会社の皆の憩いのひと時となっています。

 

彼が創設した卓球部は弊社で一番古い部活動です。
月1開催の最強王(最弱王)決定戦は大いに盛り上がりを見せます。

 

社員の結婚式では彼の編曲で必ずバンドを組みます。
この時は新婦のリクエストで、RADWIMPSの「いいんですか?」を演奏しました。

 

2017年3月茨城県古河市のフルマラソンに2人で参加、見事完走したときの写真。
私のむちゃぶりで急きょ参加することに。彼は5時間半という好タイムで完走してくれました。

 

 

私と彼と、見方によっては真逆の性格のようにも見えますが、実は一番合致しているのは、「良い組織を創りたい」という想いや考え方です。それは、他のメンバーに比べても顕著に強いものだと思います。それが故に、私の理想と、彼の理想がぶつかることも少なくなかったのです。概ね原因は私の力量不足なのですが、コミュニケーション不足による誤解や、ボタンの掛け違いと言ったところでしょうか。そして、事業の進捗について焦りもありました。

 

私は彼から変わることを要求されていました。

冒頭に書いた通り、あの時、私は人生で一番と言って良いほど後悔し、挫折を経験しました。思った以上に彼との信頼関係が出来ていなかったこと、コンパスにおいて「全力信頼」を掲げる身でありながら、右腕として活躍する彼と衝突してしまったのです。私は彼から信頼の本質について考えて欲しいという宿題を与えられ、信頼とは何か、どうしたらそれが伝わるのかという難しい問いに、眠れない日々を過ごしました。

 

あの夏の終わり、私はどうしたらそれを伝えられるかに悩み、近づいていた30歳の誕生日に何か元気になれること、楽しいことをしよう!と若手を誘って知恵を出し合っていました。ブレストした結果、決まった企画は、「30歳30貫謝」です。記念すべき30歳の誕生日に、仲間たちが握った30貫のお寿司を食べてもらい、日頃の感謝を伝えようというものです(ちなみにネタは30種類です)。私と役員陣は築地市場に寿司ネタを仕入れに出かけ、インターン生は東京の外れで日本酒樽を探していました。料理などできるはずのない棒のような男(林)は自宅待機し、サプライズのハンバーグ(しかもデミグラスソース付き)を仕込んでいました。彼への日頃の感謝を伝えきるという目的さえ設定すれば、何も台本など要らないと思いました。皆がしっかり考え動き、盛り上げ、素晴らしい演者となってこの企画は大成功に終わりました。この時のコンセプトは「全員参加のおめでとう!」でした。

 

渡さん30歳の誕生日「30歳30貫謝」。大きな酒樽を仕込んで、皆でお寿司を握りました。「こんなに良くしてくれるのは和田アキ子くらいなんじゃないか」と喜んでくれました。

 

 

スタートアップを立ち上げ、軌道に乗せることは、苦しいことの方が圧倒的に多いかもしれない。けれど、たまに感情を抑えられず涙が出たりするのは苦しい時ではなく、嬉しいときの方が多いと思います。この写真もそうですが、嬉しかったときに流した涙が、また次に向かうエネルギーを与えてくれるのだと思います。この日の彼の涙ながらのスピーチを聞いて、私も涙をこらえられませんでした。創業から一緒に頑張ってやってきたことが走馬灯のように込み上げてくるのです。今このメンバーで彼のお祝いにチーム一丸となって一生懸命になれていること、会社全体が愛に溢れていて、一緒に楽しく安心して働けるといった当たり前の日常が、いかに大切なことなのかを、この時痛感しました。

 

経営者と、経営者を支える取締役という関係は、夫婦のような信頼関係がないと続いていかないと今は考えています。それを私に教えてくれたのは渡さんでした。自分の人生をとても大切にし、家族を最優先に考える彼です。とても説得力のあるお話でした。

 

 

 

 

そして、この夏彼は足掛け4年勤めたユニラボを去り、自身で起業することになります。

 

 

アイミツ事業は0→1のフェーズを終え、これから本腰を入れてビジョンに向かっていくタイミングです。未完成ではありますが、ここまで創り上げた事業に愛着もあったと思います。でも、それ以上にやりたいこと(かつ自分にしかできないこと)が見つかったということで、今は皆で応援して見送りたいと考えています。

 

出会ってから4年間、ポンコツ経営者の私を支えてきてくれて、そして変人揃いの経営陣において唯一まともな人で居てくれて(笑)、そして組織全体の潤滑油になってくれて、心から感謝しています。渡さんが支えてくれなかったらここまでの会社にできなかったと思います。

 

過ぎ去ってみるとあっと言う間の4年間。もっと先、遥か遠い未来から振り返ると一瞬の出来事に捉えられるかもしれない。だけど、僕たちにとってこの4年間は第2の社会人生活の1ページとして、生涯忘れることができない、価値のある時間だったのではないでしょうか。

 

気づかせてくれた沢山の学びや、残してくれた遺産を忘れないよう、そして本題でもある「信頼の本質」については未だわからないことだらけですが、これからのユニラボを担うメンバーで考え抜いて、いつか結論に辿り着きたいと考えています。そして、私も皆ももっと成長し、そして成功したその先で、この4年間のことを笑って振り返ることができたら良いなと思います。

 

今日が最終出社日となりました。
これまでの感謝を忘れないよう、想い出としてこのコラムに綴らせて頂きました。
これまで本当にありがとうございました。